地下室の手記

獄中日記

地下室の手記 6枚目

午前7時、電気が点いたことが起床の合図となった。

 

あまり眠れてはいない。普段家にいる時は昼まで寝ていた自分だが、人前だときちんと起きる人間なので、何とか目覚めて立ち上がる。

 

それぞれの部屋が順番に開錠され、一人ずつ布団を押し入れに戻しに行く。

 

その後バケツと掃除機が渡され、自分の部屋とトイレを掃除するように命じられる。朝の微睡みの中で適当にこなした。

 

その後洗面台で歯を磨いたり顔を洗ったりした。

洗面台には最大で3人程度までしかいることが出来ない様で、部屋が開錠され布団を戻した3人が出てきて、顔を洗ったり歯を磨いたりした後部屋に戻り施錠され、次の部屋の人が順番に出ていく。

 

そこで私は他の留置者の顔を初めて見ることが出来た。

顔立ちは特別悪い人という感じはなく、どちらかと言えば普通のお兄さん、おじさんが多かった。もちろんマイノリティではあるが、中には背中全体に刺青を入れている人もいた。ただ、そこにいる人達の中では私が最も最年少であったように思う。

 

留置者全員が洗顔を終えるころには7時半を回っていた。

その後例の小窓から朝食が出てくる。俗に臭い飯と言われているものだ。その先入観も相まってか、なぜか強い臭いを感じた。

 

正確には留置場で食べるものは臭い飯と言わず、有罪が決定して拘置所と刑務所で食べるものを指すようだが、私が留置場にいたときはこれが臭い飯だと信じて疑わなかった。逮捕されている時点で五十歩百歩である。

 

内訳は弁当、味噌汁、お椀に注がれたお茶だった。

弁当と言っても、漬物中心のおかずに白米が別の容器に入れてあるものでった。

 

私はお茶だけ軽く啜り、食べ物には一切手を付けなかった。

元々朝ご飯を食べる習慣が無いのに加え、こんなところでのんびり飯など食べる様な気持ちの余裕が無かった。

 

小窓から弁当を返した時、警察官にもういいのかと聞かれたが適当に返事した。

このやり取りが今後も続くと思うと煩わしく感じた。 

 

 

長い一日が始まろうとしていた。

地下室の手記 5枚目

牢屋の中はトイレを含めて4畳の畳張りであった。誰もいない1号室に案内された。

 

留置場は洗面台を中心にやや扇形に6つ配置され、部屋番号は4以外の1~7まであった。

犯罪を犯した人に対しても、縁起を気にしているのだろうか。

 

牢屋に案内される前の身体検査時にスリッパに履き替える。その時のスリッパに書かれている番号で今後呼ばれるそうだ。私は52番だった。

 

深夜だったので周りの留置者は寝ており、細かい建物の構造は分からなかった。

 

 

ちなみに、地下室の手記と銘打っているが、留置場は地下にはない。

文学が好きな人なら、引用元も分かるだろう。

留置場は警察署の奥まったところに存在していた。

 

 

午前3時を回ったくらいに留置場に入った自分は、牢屋の外にある押し入れに布団を取りに行き、布団と枕にカバーを付けて布団を敷いた。

 

錠が下ろされる。大きな音が留置場に響いた。

鍵は1箇所では無い様で、真ん中、上、下の順に鍵を掛けていた。

こちらからは当然取っ手すら無いため、開けようと試みることすらできない。

 

入口の脇にある15cm×15cmくらいの窓が開き、ちり紙を渡された。

トイレに紙は無く、これで鼻を噛んだり尻を拭いたりしろと言われた。

 

初めての体験が立て続けに起こった疲労感と、自分がここにいなければならないことに対する怒りと、先の見えない不安から、布団の上でしばらく一人で考え事をしていた。

 

当時学部生だった私は、期末テストも、レポートの提出も、インターンの面接も近くに控えていた。

 

一体どれくらいいなければならないのだろうか。

この何もない4畳の獄中に、1日だけでも果たして耐え得ることができるのだろうか。

 

遠くの部屋からいびきが聞こえる。

部屋と言っても勿論警察官から中が見えるように、入口とその反対側は格子になっており、外の音を良く拾う。

留置場自体は暗くされているが、監視のために廊下は明かりがついており、夜になっても自分の世界というものは存在しなかった。

 

捕まったとは言っても、これが刑務所に行くようなものでは無いことは自分でも分かっていた。

2,3日耐えられれば出られるだろう。

そう思って不安を押し殺し、自ら自分だけの世界を作り潜り込んだ。

地下室の手記 4枚目

深夜取り調べを受けていた。

しかし、正直その時の話はあまり覚えていないし、事件に突っ込んだ話はしていなかったように思う。私のプロフィールを作成することが第一目標なのだろう。彼女との関係くらいは話したかもしれない。

 

1時間くらいで一通りの調書を作成した。

あまりパソコンを打つのが上手とは言えない人で、タイピングに時間がかかっていた。

 

調書を作成し終わると、その場で印刷された物を渡され、読まされる。

内容に誤りがあったり、この書き方が嫌だというのがあるのなら訂正するので言ってほしいと言われた。特に誤りは無かったので大丈夫ですと答えた。

 

そしたら調書の最後に自分の署名を行い、調書全てに黒い印鑑の様なものを用いて指印をさせられる。

 

その後は別室にて自分の写真や指紋(手のひらや側面も含める)を取られる。

また、ガーゼを用いて自分の口内から唾液を取る。DNA鑑定に用いるものだろう。

 

この時自分が犯罪者として記録されていることを強く実感した。

 

指印を押すごとに、写真を撮られるごとに、自らに犯罪者の烙印を押していくような感覚があった。

 

 

深夜帯であまり慣れていない人が行ったせいか、指紋や写真を撮るのにかなりの時間がかかった。

 

待っている時、別の警官が話しかけてきた。

 

「もう彼女と連絡を取ってはいけないよ」

 

私は頷いた。心の中では首を横に振った。

 

私には彼女に聞かなければならないことがある。

話さなければならないことがある。

 

どうしてこうなったのか。

仲直りしたはずではなかったか。

来週会って話すのではなかったのか。

何故彼氏を警察に突き出すことができるのか。

そもそもこの原因は何だと思っているのか。

 

まだやり直せると、当時は思っていた。

今はもう難しいことは分かっているし、そのつもりもないが。

 

 

その後小さな医務室のようなところで所持品を警察官に預け、服装のチェックをする。

私はジャージが破れていたので、着用は認められなかった。

そのため代わりの物をもらい、脈拍などを測り、説明を受けた。

 

「私たちはあなた達をサポートするものです。困ったことがあれば聞いてください。」

 

そのように警官が言った。先ほどの取り調べの様な雰囲気の人では無かった。

 

 

深夜3時を回っただろうか。私は監獄に入った。長く短い夜だった。

地下室の手記 3枚目

警察署に着くと取り調べが始まった。

眼鏡をかけた男性で、私の中学の時の友達に似ていた。高圧的な態度は無く、私も普通に受け答えすることができた。

 

予め黙秘権についての説明があり、答えたくない質問は答えなくて良いという話をされた。これは今後の取り調べで毎回言われることだった。

 

自分の名前、年齢、住所…。

 

その後、

 

「何か勲章とか受賞してますか」

 

と聞かれた。

 

「あ、やっぱりそういうこと聞かれるんですね」

 

などと世の中を皮肉った振りをした。

 

 

昨今の出来事として池袋で勲章持ちの上級国民が事故を起こしたものの、その一連の流れや報道が一般市民と対応が違うことで物議を醸しているのは記憶に新しい。

 

それにしても、住所の後に聞くほどの優先順位だったとは知らなかった。

私が勲章を持っていたら、その後の取り調べから態度が変わっていたのだろうか。

 

ただ単に勲章を剥奪する可能性があるから訊いているという意見もあるし、私も実際の警察事情を知らないので詳しいことは分からないが、昨今の事件の容疑者が通常と扱いが違うこと自体は事実である。

 

 

というか、その幼馴染に似通った警察官自身が言っていた。

 

「勲章とか持ってたらちょっと変わるらしいよ」

 

 

そういうことだそうだ。

池袋での渦中の人物は、ちょっと対応が変わった様で、未だに逮捕されていない。

地下室の手記 2枚目

警察は早朝に来るという話を聞いたことがあるが、私の場合は深夜だった。

 

自宅で手錠を掛けられた私は、警告灯のついていない警察車両に乗り、深夜に警察署に向かった。最後部に乗せられ、両脇に二人の警察官、前に1人、運転席に1人。

 

移動中、速度制限50km/hの所を70km/hで運転していた。

目の当たりにした事実に、分かってはいたが所詮世の中こんなもんなんだなと思った。

 

「速度制限には寛容なんですね」

 

その時の自分は逮捕されるようなことをしただろうかと実感が湧いていなかった。

平気な顔で少し軽口を叩いた。一人の警察官が後ろを向いて答えた。

 

「寛容という事はないけど、1,2km/hなら捕まえたりしないよ」

 

思っていた答えが返って来なくて沈黙してしまった。

少し考えて、彼らは市民を捕まえる側として考えているのだと理解した。

自分たちが速度制限違反を犯している、捕まえられるという考えは、最初から持ち合わせていなかったのだ。

 

この車の事ですよ、と言おうとしたが、話を変えられた。自分たちの事を言われていると気付いたのかどうかは、暗い車内のその表情からは読み取れなかった。

 

「彼女に沢山ひどいことをしてきたんだろう」

 

そう言われた。何か知っている風な口振りであったが、心当たりが無かった。

そんな事無いですよと言いたかったが、その話し方が気になったし、何か自分が忘れているだけで他にも問題を起こしていた可能性も捨てきれず、僅かに首を傾げただけに止めた。

 

車両は警察署の裏手に停められた。

裏口からすぐに中に入るので、当然周りの人に見られることは無かった。

 

剥き出しの手錠は、暗闇という分厚い布で覆われ、人目に付くことは無かった。

地下室の手記 1枚目

昨年の話である。夜中の事だった。

午前1時になろうかとする時に、玄関のベルが鳴った。

 

こんな夜中に?誰が?

インターホンの画面には知らない女性が1人だけで立っていた。

 

私には数年お付き合いしていた人がいたが、その女性は彼女では無かった。

 

「○○(彼女)の事でお話が…。」

 

そう切り出した女性であったが、違和感しか感じなかった。

 

相談事で友達を連れてきたなら、彼女もそこにいて然るべきであるし、直接言えなくて友達に頼んだとしても、初対面の人を相手に深夜押し掛けるのはあり得ない。少なくともそういう人を友達にするような彼女では無かった。

加えて彼女は私の家から電車で通う距離にある。この時間は終電も無い。

私の家の近くに知り合いがいるという話も、その可能性も無かった。

 

怪しいというより、不思議だと感じた。そういう気分だった。

 

「どなたですか」

 

ずっと相手の素性を聞いていた。その女は「○○(彼女)のことで…。」としか言わない。埒があかないと感じたし、向こうも感じていただろう。画面の横から男が出てきた。

 

「警察。早く開けて。」

 

それだけ言った。色々な考えが頭を巡ったが、最初に女が言ったことを考えると、彼女絡みの事なのだろうと思った。従うしかなく、玄関を開けた。

 

正直全く心当たりが無いわけではなかった。彼女と喧嘩することはしばしばあった。

先日も激しく口論した。その事で注意されるのだろうかと考えた。

 

予想は半分当たり、半分外れた。

 

警察は既に逮捕状を取っていた。

 

更に裏に隠れていた5,6人の警察が、私の家に入ってきた。

私の家は木々が側にあり、虫が入ってくるから窓すら開けたことが無かったのに、警察はそんな事はお構いなしに玄関を開けたままにした。

 

「変な気起こすなよ」

 

そう釘を刺されたのは覚えている。ふざけるなと思った。

私をどんな暴力的な人間だと思っているのだ。

ただし、私は逮捕状を取られている。これから逮捕されるのだ。

逮捕されるような犯罪者は皆自分のことを普通の人間だと思っているのだろうか。

私もその一人なのだろうか。

そう思うと、何も言うことができなかった。 

 

 

 

遠距離恋愛をしていた彼女が浮気していたことが分かったのは逮捕される1週間ほど前のことである。会うことはできないので、電話で怒った。かなり怒鳴り、汚い言葉を吐いた。

 

結局その後のやりとりで許した。次の週には会うことができるので、その時に少し話そうという約束をした。その次の日に警察が来たため、結局会うことは無かった。

 

心当たりとしてはこの内容だし、実際このことで逮捕されたのだが、自分としては仲直りをした(少なくとも私はそう思っていた)内容だったので逮捕されるとは思わなかった。

 

逮捕に関して異論はない。私が行ったことは犯罪である。

 

 

携帯の画面に表示される汚い言葉の羅列を指差し、それを警察が写真を撮った。

 

部屋に太った蝿が入ってきた。行き場を無くしている。

 

逮捕状に書いてある内容を読まれ、家の中で手錠を掛けられた。

私は脅迫罪で逮捕された。